ふと、思い立ちブログを書かせて頂きます。
長文ですが一読して頂けたら幸いです。
今日とある工場に伺わせて頂きました。
数年ぶりにお会いした社長に色々お話しをうかがう事が出来たのですが、そこには福建省からの留学生の男の子がそこにいました。
彼の熱心な仕事ぶりに僕は心を打たれました。
聞けば学生をしながらそこの工場でのアルバイト、その後別のアルバイトをして家族に仕送りをしているとの事。
そこだけ聞くだけでもとても感心の持てるステレオタイプの優等生だ。
更にそこの工場では技術を習得する事が出来るのだ、彼の母国に帰ってその仕事を生業にするかは定かでは無いが、社長曰く「今の日本の若者は作業もおっかなびっくり、汚れる仕事には率先して行かず恐る恐る作業をするよ。彼らは"作業の音"を聞いてるだけでわかる。こちらがストレスを感じないくらい物怖じせず積極的にまずやってみよう!の気持ちと作業だから機械が壊れちゃうくらいだから、もっとゆっくりとやってくれよ(笑)」と嬉しそうに話してくれた。
決して全ての日本の若者がそうではないと思うが、彼らは話さなくとも目の前にある作業を黙々とやればいいのでこの作業を選択したのかもしれないが、とても貪欲に作業をこなす。
僕の丁稚の頃を思い出し、目頭が熱くなった。
僕は今はお世話になっているアパレルのメーカー様方のおかげで小綺麗な格好もさせて頂き、好きな乗り物にも乗れている。
しかし、14歳からのビジョンを形にしたいと17歳から高校に通いショップを持つ為には販売を覚えなければならないと、地元のジーンズショップでアルバイトで販売を勉強させて頂き、その後シルバージュエリーを学びに丁稚、深夜からはBARでアルバイト。
当時の1日のスケジュールだ。
高校卒業して丁稚させて頂いてるショップで更に本格的に丁稚に没頭した。
当時は本当にお金が無かったので、朝から深夜まで技術習得に費やし食事も肉屋の1個10円のポテトフライを10個食べては胃がもたれ悶絶したり、お湯を入れた途端長いお客様が来店しカップ焼きそばの湯切り不要なくらいお湯が無かったり、ジーンズのお尻に穴が開きパンツが出てるが、到底買うお金もない。
そんな極貧生活も起業し数年までは更に加速度を増し壮絶な物があった。
ただ僕には誰にも負けない夢と思いがあった。
絶対は絶対!!何としてでも世界の人々に僕の創ったモノを見てもらい何かしらの感動を与えたい!!
人三倍なんて当たり前!
そんな思いでまだ見ぬ光を模索しながら日々奮闘していた。
食えないだろうと差し入れを頂き
その時もとても多くの人に支えて頂いた感謝の気持ちは今だ、一生忘れない。
昨今、日本では物が勝手に出来上がると軽視して考えている人も多く見受ける。
中には考えも及ばない環境に身を置く人もいるだろう。
モノという物質は必ず人の頭で考え、手や機械、はたまたコンピュータを駆使した技術で生み出されるものがほとんどだ。
そこには大切な技術というものが必ず存在する。
その技術というものは手間と呼ばれたりもする、方法は聞けるが身に付ける技術はお金では売ってももらえない。
今では技術を教える学校なども存在するが、自分でその技術に向き合い途方も無い時間を費やして身に付けるしか方法が無い。
技術を習得する者は殆んど全員と言って良いほど限られた寿命の中の多くの時間を技術習得という事に投資している。
すなわち技術は財産でありその人そのものなのだ。
その技術者に工賃を負けてくれ、手間賃を無くしてよ。
僕らも含め彼らもただモノを売ってる訳では無い、手間こそが生命なのだ。
ゆえに手間を負けろとはその人の大切な寿命と生命を削れ!と言っている事と同じである。
今世界中にあるモノは人が豊かになる為に創り出したテクノロジーそのものである。
誰かが創ったでは無い、貴方の隣の人かもしれない。
本来そこまで近いところにある技術、戦後の高度成長期の先輩方がとてつも無い情熱と時間を費やして築き上げてたこの日本。
つらい戦争があり負けずに戦後世界でトップに昇りつめたこの技術。
これを日本の財産と僕は思う。
先輩方の途方も無い努力というアドバンテージの元、僕らの今の時代がある。
その技術は世界中から引く手数多、海外からの技術習得希望者も後をたたない、どんどん日本の技術が世界中に流出し世界中が豊かになるのはとても素晴らしい事だと思うが、さてどうだろう…いまどこの工場も後継者がいないのだ。
この日本の技術を日本人が繋がずしてどうするんだ?
何かを得る為には何かしらの犠牲は伴う。
人間積載量が決まっている。
今置かれている生活リズムの中でこの様なスポ根ものヨロシクなガッツとは無縁に効率良く生きて行けば「頑張る」なんて作業や精神も必要としない世の中かもしれないが、それで戦後繋いで盛り上げて下さった先輩方に申し訳が立つのであろうか?
もちろん特別な生活を約束されてる人がいるが、ほとんど誰しもイキナリ格好良く仕事したり生活なんて出来ない。
弊社のスタッフも日々奮闘している、彼らはそんじょそこいらの事ではへこたれない。
そこには今の時代日本人が忘れかけてる思いとガッツがこの空間には存在する。
目に入るモノが「誰かがどんな風に創ったんだろか?」そんな事を考えてもう少し日本の技術に感心を持って貰えたらモノを創った人は嬉しいと思います。
長文に最後までお付き合い頂きありがとうございます。
それも技術のうち!!
さぁ、今日も頑張るぞ!!
長文ですが一読して頂けたら幸いです。
今日とある工場に伺わせて頂きました。
数年ぶりにお会いした社長に色々お話しをうかがう事が出来たのですが、そこには福建省からの留学生の男の子がそこにいました。
彼の熱心な仕事ぶりに僕は心を打たれました。
聞けば学生をしながらそこの工場でのアルバイト、その後別のアルバイトをして家族に仕送りをしているとの事。
そこだけ聞くだけでもとても感心の持てるステレオタイプの優等生だ。
更にそこの工場では技術を習得する事が出来るのだ、彼の母国に帰ってその仕事を生業にするかは定かでは無いが、社長曰く「今の日本の若者は作業もおっかなびっくり、汚れる仕事には率先して行かず恐る恐る作業をするよ。彼らは"作業の音"を聞いてるだけでわかる。こちらがストレスを感じないくらい物怖じせず積極的にまずやってみよう!の気持ちと作業だから機械が壊れちゃうくらいだから、もっとゆっくりとやってくれよ(笑)」と嬉しそうに話してくれた。
決して全ての日本の若者がそうではないと思うが、彼らは話さなくとも目の前にある作業を黙々とやればいいのでこの作業を選択したのかもしれないが、とても貪欲に作業をこなす。
僕の丁稚の頃を思い出し、目頭が熱くなった。
僕は今はお世話になっているアパレルのメーカー様方のおかげで小綺麗な格好もさせて頂き、好きな乗り物にも乗れている。
しかし、14歳からのビジョンを形にしたいと17歳から高校に通いショップを持つ為には販売を覚えなければならないと、地元のジーンズショップでアルバイトで販売を勉強させて頂き、その後シルバージュエリーを学びに丁稚、深夜からはBARでアルバイト。
当時の1日のスケジュールだ。
高校卒業して丁稚させて頂いてるショップで更に本格的に丁稚に没頭した。
当時は本当にお金が無かったので、朝から深夜まで技術習得に費やし食事も肉屋の1個10円のポテトフライを10個食べては胃がもたれ悶絶したり、お湯を入れた途端長いお客様が来店しカップ焼きそばの湯切り不要なくらいお湯が無かったり、ジーンズのお尻に穴が開きパンツが出てるが、到底買うお金もない。
そんな極貧生活も起業し数年までは更に加速度を増し壮絶な物があった。
ただ僕には誰にも負けない夢と思いがあった。
絶対は絶対!!何としてでも世界の人々に僕の創ったモノを見てもらい何かしらの感動を与えたい!!
人三倍なんて当たり前!
そんな思いでまだ見ぬ光を模索しながら日々奮闘していた。
食えないだろうと差し入れを頂き
その時もとても多くの人に支えて頂いた感謝の気持ちは今だ、一生忘れない。
昨今、日本では物が勝手に出来上がると軽視して考えている人も多く見受ける。
中には考えも及ばない環境に身を置く人もいるだろう。
モノという物質は必ず人の頭で考え、手や機械、はたまたコンピュータを駆使した技術で生み出されるものがほとんどだ。
そこには大切な技術というものが必ず存在する。
その技術というものは手間と呼ばれたりもする、方法は聞けるが身に付ける技術はお金では売ってももらえない。
今では技術を教える学校なども存在するが、自分でその技術に向き合い途方も無い時間を費やして身に付けるしか方法が無い。
技術を習得する者は殆んど全員と言って良いほど限られた寿命の中の多くの時間を技術習得という事に投資している。
すなわち技術は財産でありその人そのものなのだ。
その技術者に工賃を負けてくれ、手間賃を無くしてよ。
僕らも含め彼らもただモノを売ってる訳では無い、手間こそが生命なのだ。
ゆえに手間を負けろとはその人の大切な寿命と生命を削れ!と言っている事と同じである。
今世界中にあるモノは人が豊かになる為に創り出したテクノロジーそのものである。
誰かが創ったでは無い、貴方の隣の人かもしれない。
本来そこまで近いところにある技術、戦後の高度成長期の先輩方がとてつも無い情熱と時間を費やして築き上げてたこの日本。
つらい戦争があり負けずに戦後世界でトップに昇りつめたこの技術。
これを日本の財産と僕は思う。
先輩方の途方も無い努力というアドバンテージの元、僕らの今の時代がある。
その技術は世界中から引く手数多、海外からの技術習得希望者も後をたたない、どんどん日本の技術が世界中に流出し世界中が豊かになるのはとても素晴らしい事だと思うが、さてどうだろう…いまどこの工場も後継者がいないのだ。
この日本の技術を日本人が繋がずしてどうするんだ?
何かを得る為には何かしらの犠牲は伴う。
人間積載量が決まっている。
今置かれている生活リズムの中でこの様なスポ根ものヨロシクなガッツとは無縁に効率良く生きて行けば「頑張る」なんて作業や精神も必要としない世の中かもしれないが、それで戦後繋いで盛り上げて下さった先輩方に申し訳が立つのであろうか?
もちろん特別な生活を約束されてる人がいるが、ほとんど誰しもイキナリ格好良く仕事したり生活なんて出来ない。
弊社のスタッフも日々奮闘している、彼らはそんじょそこいらの事ではへこたれない。
そこには今の時代日本人が忘れかけてる思いとガッツがこの空間には存在する。
目に入るモノが「誰かがどんな風に創ったんだろか?」そんな事を考えてもう少し日本の技術に感心を持って貰えたらモノを創った人は嬉しいと思います。
長文に最後までお付き合い頂きありがとうございます。
それも技術のうち!!
さぁ、今日も頑張るぞ!!
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by f_arrows
| 2016-01-21 18:52